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思いはめぐる
<INDEX>

37.自己主張の勘違い(2005.01.19)
36.直感的にわかりたい!(2004.06.17)
35.言葉に表れること、表れないこと(2003.09.01)
34.ハード→ソフト→サービスへのシフト(2003.08.29)
33.当たり外れの悲しい現実(2003.06.12)
32.男もすわる時代(2003.05.23)
31.天動説か地動説か(2003.03.15)
30.年収500万で支出が800万(2003.02.10)
29.世情五憂(2003.01.14)
28.一年の計(2003.01.07)
27.お手本のない時代(2002.12.18)
26.人はだれしも「自己虫」である(2002.12.16)
25.言い訳をください(2002.12.10)
24.開閉ボタン(2002.11.23)
23.仮説ありき(2002.11.11)
22.表現手段(2002.08.16)
21.「私、妊婦です」(2002.08.15)
20.ケータイ生活(2002.08.10)
19.「生きて行こう」(2001.07.25)
18.どぼん!エスプレッソシェイク(2001.07.06)
17.感じること、感じなくなること(2001.06.11)
16.おとなし(音無し)モード(2001.04.12)
15.凶器が走る!無灯火自転車(2001.02.16)
14.最近増えてるこんな人(2000.12.01)
13.何度でもナビゲーション(2000.11.02)
12.自分が自分を取り戻すとき(2000.09.09)
11.言葉にすること(2000.08.14)
10.ペーパードライバー返上の理由(2000.07.22)
9.ターニング・ポイント(2000.06.18)
8.一に確認、二に確認(2000.05.28)
7.大きくなったら(2000.05.16)
6.表現の強さ(2000.05.09)
5.主役と脇役(2000.05.07)
4.一年間(2000.05.01)
3.だめならだめと言うべきなの?(2000.04.26)
2.欲張り(2000.04.13)
1.一言多い!(2000.04.12)


37.自己主張の勘違い

 「日本人は個性がない」「日本人は自分のやりたいことを口にしない」と
いうのは遠い昔のことなのだろうか。
 最近は、相手に対し自分の言いたいことを言い放つ人が非常に増えてきた
ように思う。ここであえて「言う」ではなく「言い放つ」と書いたのには
理由がある。自分の言いたいことを言う。それは大事なことだ。相手に対し
要求を伝える、ということは、生存していく上での基本的な要素なのだから。
言葉を持つ人間は、黙っていても察してもらえるという状況に甘んじるわけ
にはいかない。それが許されるのは言葉を満足にしゃべれない赤ん坊の時代
だけなのだ。
 しかし、ただ言うだけ、言いっぱなし、言ったら終わり、後はよろしく、
というのはいただけない。相手は何でも言うことをきいてくれるイエスマン
でもロボットでもない。交渉相手であればなおさらだ。それを言うことで
相手はいったいどう思うのか。相手の立場はどうなるのか。相手のどんな
リアクションを期待するのか。それなしに、とりあえず言いました、私は
すっきりしましたでは、いっこう埒があかないばかりか、相手にストレスや
不満、鬱憤が溜まる一方だ。
 コミュニケーションとは、そもそも双方の相通じるところを探り合い、
まずはきちんと相手の話を聞き、必要なところをちゃんと掴んだ上で自分の
主張をうまく交えて話すものだ。そういった基本的な姿勢、習慣は、あえて
教えられなくとも、小さい頃から人と接することで自然に身に付くものだと
思うのだが、「個性がない」と言われ続けた反動か、ただ「自己主張しなさい」
とだけ教えられた人が非常に多くなっていることに危機感を感じる。
 大人になってからでも決して遅くない。相手の立場になってちょっと考えて
みればわかることだ。最初はうまくいかなくても、そういう経験をたくさん
積んでいけば下手なコミュニケーションも徐々にうまくいくようになる。
仙人でもない限り、誰とも接点をもたずに仕事をしたり生活をすることが
ほとんど不可能な時代。どうかまわりのコミュニケーションが少しでも
うまい具合にまわりだしますように。
(2005.01.19) ▲top

36.直感的にわかりたい!

家の中には家電製品、デジタル製品が満ちあふれている。
次から次へ、増えることはあっても減ることは多分ない。
さて、これらを買い求め、さあ使おうというときに、
みんなはどうしているんだろう?

私の場合、梱包を開け、ぱぱぱとさわってみて、それで
使い方わかんなきゃも〜やだぁ〜ってことになる。
まず第一次リタイアポイントはここ。

それでも、どーしても使いたい、使わなきゃだめ、ってときは
やむを得ず、付属の取扱説明書とかマニュアルのたぐいを
ひもとくとこになる。またこれが分厚〜いやつだともうイヤイヤ
なんだけど、仕方なく、それらしいところを目次か索引から探す。
もうこれでうまくヒットしなければ最悪。
これが第二次リタイアポイント。

ここでもあきらめがつかないと、泣く泣くマニュアルの最初から
読むことになる。読み飛ばせない苦痛。貴重な時間の浪費。
そうまでして動かせたものが、見事に期待を裏切ると、
コノヤロー!ってことに。

実は、私自身決してマニュアルを読むのが苦痛なわけではないし、
かつて、いかにわかりやすいパソコンのユーザマニュアルを作るかで、
頭を悩ましたこともある。しかし、機器って、あれこれ考えさせずに
さささと使えてなんぼじゃないだろうか?
征服系や宝探しゲームじゃあるまいし、人間工学や認知心理学、
それに、使い慣れたモノを十分に考え合わせれば、必ずや、
使いやすい、ミスオペレーションのないものが作れるはずなんだが。

道具は、基本的に人間にあれこれ考えさせるモノであってはならない。
何かを参照しなければ使えないものであってはならない。
洗練されたモノとはそういうものだと信じている。

マニュアルを読まない人の基本心理はこれである。
(2004.06.17) ▲top

35.言葉に表れること、表れないこと

言われたことを言われた通り忠実にやるのが得意な人がいる。
でもそういう人に限って、言われた以上のことを想像するのは
不得手であることが多い。

言葉に表れていること、それは、その人の意思・意図のほんの一部に
すぎない。実はそのバックグラウンド、なぜそんなことを言い出したか、
の方が大事なことが多いし、むしろ隠れていることの中に、
本音、本質があることさえある。

では一体どうするのが良いのか。私が心がけていることは次の通り。
言われたことに対し、なぜその人はそう言っているのか、何のために
そう言っているのかを想像し、解せないときにはきちんと聞き返す。
・・・と、偉そうに言っては見たものの、これは多くの失敗に
裏打ちされた経験則である。
(2003.09.01) ▲top

34.ハード→ソフト→サービスへのシフト

ことコンピュータ業界では、ハードウェアからソフトウェアへ、
ソフトウェアからサービスへ、その収益源がシフトしてきている。
つまり、

1)ハードウェアで稼ぐ、ソフトウェアはおまけでついてくる
2)ソフトウェアで稼ぐ、サービスはおまけでついてくる
3)サービスで稼ぐ、ハードウェア、ソフトウェアはおまけでついてくる

というステップを踏んできており、現在は2)から3)あたり。
ビジネスモデル転換がうまくいっている会社はすでに3)の状態であり、
うまくいっていないところは、1)や2)でとどまり衰退の一途をたどる。

ハードウェアの価格がどんどん安くなりコモディティ化していきそれ単体では
差別化できない時代。フリーソフトウェアがどんどん浸透していき
お金を直接かけなくともソフトウェアが入手できる時代。
さて、これからはどんなサービスなら今後受け入れられていくのか。
どんなサービスの差別化を図っていけばいいのか。
コンピュータ関連メーカー各社は頭を悩ませているところだが、
一歩抜き出る発想の転換が必要なようだ。しかも、従来の概念に縛られた
ありものを伸ばすより、新しいものにいち早く気がつくことが肝要。

ところで、これはコンピュータ業界だけの話にはとどまらない。
われわれ一般市民は何を欲するようになってきたか。
戦後3Cといわれてきた物への欲求はその普及とともに失せ、
物理的な満足から精神的な満足へとシフトしてきている。
心地よさ、快適さ、癒しと刺激を求める現代社会、
どれだけ人にフィットしたものを打ち出していけるかが、ビジネスの鍵だ。
(2003.08.29) ▲top

33.当たり外れの悲しい現実

しかるべきお金を払えばしかるべきサービスを受けられる、
というのはもはや幻想のようだ。
もちろん、全部が全部外れというわけではなく、ちゃんとした
サービスができるレストランやホテルもあるにはあるのだが、
裏切られる確率が非常に高くなってきているがために、
それを発掘するのが非常に困難になってきており、
半分諦めの境地である。過去の実績やネームバリューに
あぐらをかいたサービスのなんと多いことか。
 
一方で、端から端までマニュアル化されている、簡素であっても
効率的なところの方が、コストパフォーマンスの高いサービスを
提供してくれているように感じることが多い。
いわゆる納得バリュー、バリュー価格だ。
こと接客サービスの類では、これが私の現実感である。
 
カタチに表せないサービスを売り物にする側は、今後こうしたお客様の
心境の変化に対し心してかからないと、いつしか総スカンを食らうだろう。
マニュアルレベルでもいいから書いてあることをきっちりこなせて
リーズナブルなところが選ばれるようになる・・・悲しい現実がそこにある。
(2003.06.12) ▲top

32.男もすわる時代

乗り込む前から虎視眈々と狙っている。扉が開くと一目散に走り出し、
降りる人を押しのけて座り込む。あたりを見回すこともなく、ゲームや
雑誌、音楽に集中する(フリをする)。たとえ目の前にお年寄りや
体の不自由な方が立とうが、目に入らないのか無視しているのか…。
最近こんな若い男性を頻繁に見かけるようになった。偶然かとも思い、
同僚や友人にきいてみたが、みな「確かにそうだね」との答え。
小学生の男子にも多いとの情報も。
席取りと言えばおばさんの代名詞だった時代は過ぎ去ったのだろうか。
それとも若年男性のオバタリアン化が進行しているのか。
考えれば考えるほどゾッとする。
(2003.05.23) ▲top

31.天動説か地動説か

お客様が大事なんです。お客様を中心に考えます。
カスタマー・リレーションシップ・マネージメント、略してCRM。
従来のそれは、あくまでも企業がお客様を選びそのお客様に
適したものを提供する方向に向いていたように思う。つまり、
顧客第一主義、企業が中心でその周りを顧客が回っている、
企業から見て天動説だったのだ。
しかし、顧客に主眼を置くとの顧客を中心に据えるのとでは、
実は天と地ほどの差がある。
これからは、本当は、顧客中心主義、つまり、顧客が中心で
その周りを企業が回る、地動説になるのではないか?
企業が顧客を選ぶのではなく、企業は顧客に選ばれる立場に
なるのではないか?黙っていても顧客がついてきてくれる
強力なブランドが確立されないかぎり。
(2003.03.15) ▲top>

30.年収500万で支出が800万

「今年は世の中不景気で税収不足だからお金が足りないのです。
その分を国債でまかなうのです。」という声があちこちから聞こえてくる。
それは事実なのだろうか?どこかだまされていないか?
そもそも国債って何か知ってる?国の借金だよ。

国の財政の数字である、何百兆、何千兆円という単位は
一般庶民にはとても想像のつかない金額なので、
単位を落として私たちのわかる感覚に合わせて収支を見てみる。
予算上、国の収入はざっと年間500万円、一方支出は800万円。
300万円も赤字を出してる。とても個人では考えられない数字だ。
放っておけば自己破産の道をたどるのみ。
この赤を取り崩せるだけの隠れ資金でもあるのかな?
おまけに収入見込み予想が外れたらしく、これが今年度350万円
ぐらいになるとか。えぇっ、嘘でしょう?だって、収入の2倍以上も
支出するなんて、正気の沙汰とは思えないじゃない?

なぜ収支を合わせようとしないのだろう?収入と支出を比べて、
収入が足らないならどうやって稼ぐかを考える、もしくは、
支出をぐんと抑えるかするのが、ごく当たり前の考え方だと思うのだけど。
国は破産しないの?どこかでチャラになるの?
それともやっぱり隠れ資金があるの?
誰かがいつかどーんとお金をだしてくれるの?

右肩上がりの経済成長時代はもうとっくに終わってるし、
さしあたって特需と言えるほどのものもない、つまり、
収入の上がる見込みが全然ないのに、
どうして支出をちゃんと抑制しないんだろう?

こんな子供にでもわかることを何年も放置している国がとても不思議に思える。
しかも、だれにもどこにも危機感の”キ”の字もない。状況は悪くなる一方なのに。

そして、こんな簡単なことを、国民にちゃんとわかりやすく説明しない
マスメディアもとっても不思議。だって、言うべきコトは
この一言で十分なんだから。
「年収500万で支出が800万、それっておかしいんじゃない?」

政治家を単にフォローしたり批判するだけのマスメディアって何だか悲しい。
(2003.02.10) ▲top

29.世情五憂

アメリカの声は世界の声ならず
                     地球の重心大きく傾く

関心は中東にあると腹を立て
                     北は仕掛ける皆振り向くまで

遺憾だと言うだけならわたしにもできる
                     それしか言えない首相に遺憾

静かなる余生願う衆に埋もれて
                     大志抱けるはかなき声量

紙くずになりはしないかと小市民
                     紙くずになりかけてる国にて

(2003.01.14) ▲top

28.一年の計

一年の計を立てましたか?と人に訊いておきながら、
果たして自分のプランは人に話せるレベルなのかどうか自問自答している。
頭の中でぼんやりと張り巡らしたプラン、人に説明できないプランというのは
おそらくまだ「プラン」になり得ていない。

新年を迎え、世界はどうなる?といったマクロの観点から、
日本は?自分の勤めている企業は?自分の住んでいる地域は?
自分の家庭は?自分自身は?という風に、徐々にフォーカスを絞って
ミクロで観てみる。
前提が狂えばおのずと計画は狂う。かといって、例えば、
世界が見通せないから私の人生もさっぱりわからない、では何も始まらない。
仮定に仮定を積み重ねた上でプランを作り実行に移していく、これが
前向きに生きる唯一の方法ではないかと、ごく当たり前の結論に行き着いた。
仮定が間違っていれば、おかしいと思ったら即座に変えて対応する。
ものごとの揺れ幅は常にある程度想定しておきできるだけその中で吸収する。
もし想定を超えてしまったならプランを作り直し即対応していく。
これを走りながら考える、と言う人もいるけれど、それはちょっと違うかな。
世の中が動いているから自分も動く。世の中より一歩先に動いた人が
多分勝てる人になりうるのだろう、後ろに失敗をたくさん積みながら。

さて、私にとって昨年は充電と蓄積の一年であり、およそ予定通りであった。
今年は中期計画の一年前倒しにより激動の年となる予定である。
さて一年後、私はここで何を言っているであろうか。
(2003.01.07) ▲top

27.お手本のない時代

一生懸命頑張ればAさんやBさんのようになれる。
努力すれば自分の親ぐらいの生活はできるようになる。

小さい頃は自分の親や学校の先生の言うことに従い保護され、
社会人になれば企業に従うことにより保護される。高度成長時代、
安定した生活はそんな風にして保証されてきた。

しかし、低成長からマイナス成長となってきた今、
そんな安心モデルは足元から崩れてきている。

言うとおりにしたってうまくいかないじゃないか。
言うとおりにしてきたのに首を切るじゃないか。
本当に自分たちの未来は保証されているのか。

老い先短い人は、多少の不安を抱えていても、
昔の誇りとお金をもって残りの人生を生きることはできるだろう。
けれど、子供や若い人にとっては、これから生きていく
長い未来への不安が、膨らむことはあっても消えることはない。

お手本がお手本でなくなってしまっている。
そのことに気付かせたくないのか、保身に走るからか、
「今はちょっと不況なので我慢しよう、
ほんのちょっとした工夫やきっかけできっと持ち直すから」
などと小手先ばかりをいじくってお茶を濁している政治家。
自分が生きている間の時間稼ぎをしてるとしか思えない
延命措置行動オンリーの人々。それはメディアもしかり。
インターネットの世界では様々な激しい議論が交わされている
にもかかわらず、大衆向けメディアは相変わらず同じ論調を
繰り返すばかり。

今の世の中にはすでに「安定」という基盤がない。
「安定」という大前提を取っ払って物事を考えなければ
未来はますますしぼんでいってしまう。

「今の若いやつには夢がない、希望がない」と言う前に、
古いお手本は捨てましょう。新しいお手本を打ち立てましょう。
大手広告代理店の研究所さん、やってみてくれませんか?
今こそ新しい生き方モデルを提言し、
日本中に一大旋風を巻き起こしませんか?
みんなにわかりやすい明日の姿を描くために。
閉塞した日本に光を取り戻すために。
(2002.12.18) ▲top

26.人はだれしも「自己虫」である

「自己虫」は悪だと位置づけられて久しい。
自分が中心であることはさも悪いことのように言われることが多い。けれど
だれしも本当は、一番大切なのが自分、次に家族や愛する人、友人なのでは
ないだろうか。そもそも自分を大切にできない人が他の人を大切にすることは
できないものだ。親が子供のために自分を犠牲にしたり、愛する人のために
自分を殺すことは、ともすると美談に聞こえるけれど、これとて実は自己犠牲
という名の自己満足と言えなくもない。
では、なぜ「自己虫」は悪いことだと言われるのだろうか。
それは、自分が「自己虫」であると同時に周りの人もみな「自己虫」である、
という認識に欠けてしまいがちだからだ。盲目に我を通し周りにぶつかるだけの
「自己虫」は迷惑千万。社会の中での「自己虫」は決して単独では存在し得ず、
周りの「自己虫」と共存してはじめて成り立つ存在である。だからこそ、自分が
されて嫌なことは周りの人にもしない。自分がされてうれしいことは周りにもする。
そう考えれば「自己虫」は決して悪いことではなく人の当たり前の姿なのだ。
逆に、自分の中で自分をきちんと位置づけられず、集団的協調風に流されること
こそ悪であると思う。 
(2002.12.16) ▲top

25.言い訳をください

お金がまったくないわけじゃない。お店にモノがないわけじゃない。
けれど買えない、買いたいという気持ちにならない。
あれがほしい、これがほしいという時代はとうの昔に過ぎ去ってしまい、
今やほしいモノがなくて困る(?)時代に突入しているようだ。
生きていくためにどうしても必要な食料品や、日々の生活に
最低限必要な衣類・雑貨類はやむを得ず購入するものの、
それ以外にはほとんど食指がのびていかない。
何が足らないのだろう。ワクワクさせてくれるもの?お買い得感?
それはもちろんあればいいものだ。
それだけだったら世のマーケターはとっくに手を打っているはずだ。
そんなことを思いながら、日曜夜の「サザエさん」を見ていた。
家族や友人たちに対しことあるごとに一生懸命エクスキューズする
カツオくんやマスオさんを見て、5歳の娘がケラケラ笑っている。
日本人って、どうしてこうも自分の主張をせず人のせいにばかり
したがるんだろう、と、はがゆく思いながら見ていてハッとした。
ひょっとして、人はいつも「言い訳」を探しているのではないか。
モノを買うにあたっては、背中をポンと一押ししてくれる理由。
自分に、周りの人にエクスキューズできるもっともな買うワケ。
もちろん、人によっては、この「自分」が時に「会社」だったり
「家族」だったりするのだろうけれど。
自他共に納得できる言い訳は、時に店員さんから与えられたり、
ちょっとしたPOP・広告に教えられたりすることもあるだろう。
決して押しつけでなく、言い訳を創造するヒントさえもらえれば。
かくいうわたしも今言い訳作りにいそしんでいる、後悔しないためにも。 
(2002.12.10) ▲top

24.開閉ボタン

パチン。ピチャン。ビチャビチャビチャ。
あまりにもこれが多くて、聞いてるだけで不快になる。場所はエレベーターの中。
一刻も早く自分の目的階にたどり着きたい。誰だってそう思っている。特に朝の
ラッシュアワーはそうだ。けれど、まだ人が降りようとしているのに追い立てる
ように閉まるボタンを押す人、まだ乗る人がいるというのにロクに確かめもせず
閉めようとする人、強く押さなくても反応するのにこれでもかというほど派手な
音を立てる人。一回押せば反応するのにイライラがつのっているのか何度も押す
人。逆に、続々と乗り降りする人がいるのに、開けるボタンも押さずに知らんぷり
しているボタンの前の人。この人たちには、マナーとかデリカシーとか他の人を
思いやるとかいった社会性に欠けているのだろうか。あたりを見渡す余裕のかけら
もないのだろうか。
えっ?そんなこと社会人のマニュアルに書いてない?
いちいち指導しなければいけないこと? 
(2002.11.23) ▲top

23.仮説ありき

色んな人と仕事をしていてとても面白いと思っていることがある。
それは仕事の仕方、考え方、そしてその結果とそれに対するリアクション。
その中でも顕著なパターンが次の二つ。

一つ目。あれこれなんにも考えずに、行き当たりバッタリの対応。良く言えば問題解決型。
そういう人が実は私の身の回りにはとっても多い。相手の反応や結果に一喜一憂し、ああ
どうしよう、困った困ったの連発。とにもかくにも問題解決型なので、またまたその場で
バッタリ対応を実行。どこかで決着がつくまで延々この繰り返し。誰かが根負けしてくれ
ればいいが、そうでなければ泥沼化することが多い。
二つ目。もしこれこれと仮定すると、誰それはどう考える、どうリアクションが来るはず、
だから事前にこういう手を打っておく、どうのこうの言われないように事前にこう言って
おく、と、まさに心理戦の嵐。これが今流行りの仮説検証型。予想が外れたらまた戦略を
練り直し、仮定を立ててみる。これを続けていくと、実は当たりの確率が高まりスピード
感をもった仕事ができるようになる。ただし、このやり方は、なれていない人にとっては、
そのめまぐるしいスピードについていけず、取り残されてしまう可能性がある。
そういえば、若き日の恋愛はまさにこの仮説ありきの繰り返しだったような気がする。
とすれば、恋愛の達人はひょっとして仮説検証の達人でもあるのかもしれない。 
(2002.11.11) ▲top

22.表現手段

今日のiショットを毎日アップするようになってから、表現手段について
考えさせられることが多くなった。元々言葉にはこだわってきたのだが、
静止画や動画、それに音声で伝えることとはどういうことか、受け手と
してではなく出し手としていかに考えが及んでいなかったのか、痛感
させられている。例えば花火。これは儚い美しさの代表格としてよく
語られるが、目の前にあるこの花火を伝えるには写真かな?と思い
撮影してみる。ところがなかなかショットが決まらず撮れたものを
見返してみると今ひとつ感動に欠ける気がする。生き生き感を出すには
やはり動画with音声に軍配が上がりそうだ。一方、静止物やある瞬間を
切り取ることに意味のある構図などは写真の得意分野。そして、受け手の
中でイメージを広げたい場合は、絵のない言葉による表現(例えば一句)が
向いていたりする。・・・そんなことを考えながら、今日は誰に対して
何を何で表現しようか思いをめぐらしている。 
(2002.08.16) ▲top

21.「私、妊婦です」

妊婦時代を経験したワーキングマザーなら、きっと一度や二度
経験しているであろう、妊娠初期の辛い通勤電車。私もありました。
お腹が目立ってくれば席を譲ってくれる人も居るのですが、
まだ全くと言っていいほど目立たない妊娠2,3ヵ月の頃。
一般的に、この頃がつわりで一番辛い時期。
「お願い座らせて〜。妊娠してるんです〜。」
悲痛な心の叫びは誰にも届かない。そんなとき、さりげなく、
「私、妊婦です」ってわかってもらう手立てがあればなぁ。
そんなとき飛び込んできたのがベネッセの車内広告で、妊婦であることを
示すマスコットのようなもの。そして今日のYahoo!でもこの手のグッズが
人気だと取り上げられていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020814-00001051-mai-soci
http://www.baby-in-me.com/main.html
これで少しでも救われる人がいるといいなぁと思ってここに書いています。
念のため、私は現在妊婦ではありません、くれぐれもお間違えなきよう。 
(2002.08.15) ▲top

20.ケータイ生活

ケータイ生活=ケータイ(電話)を持っている生活、という意味ではない。クルマが部屋化し
ポータブル・ルームを提供して久しいが、今や大きめのカバンやリュックがその役割を
ポータブル・ライフの一端を担いつつあるように思う。老若男女問わず、街中で大きな
リュックをしょっている人はとても多くなった。その中身は、かつて家の中で使っていた
電話、オーディオをはじめ、女性なら化粧道具、風邪薬や頭痛薬、ストッキングの替え、
スケジュール帳の類、それに、人によってはノートパソコンなども持ち歩いている。
手ぶらで歩けるリュックがおしゃれに見られているのもこの理由の一つだろうが、
これらを持ち歩くことにより、いわゆる家やオフィスなどの拠点に縛られることなく、
行動範囲がどんどん広がっているのかもしれない。いつでも、どこでも、私の生活を
営むことが出来るとしたら・・・人前でなりふり構わず化粧をするといったマナー問題は
あるにせよ、農耕民族が少し動き出したのは面白い現象だと私はとらえている。 
(2002.08.10) ▲top

19.「生きて行こう」

体温状態の日が続いている。「暑いですね。」「いや〜たまりませんな〜。」
耳にたこができるほど繰り返される会話。ただひたすら照リつける太陽。
肌に突き刺さる光。息苦しいほどの湿気に包まれ、「もう何とかしてくれ〜。」
という悲鳴が多数。でも不思議とこういうとき、誰も、「死にたいよ〜。」とは
言わない。なぜだろう?
秋から冬にかけて、人はなぜか「死にたい。」と漏らすことが多い。
閉ざされ行く日の光に呼応するように人は生気を弱め、物悲しさ、寂しさ、
切なさを強く感じる季節。それに比べて、夏の暑さと強い光は、人間の
細胞活動を否が応でも活発化させ、血は騒ぎ立つような気がする。こんなとき、
きっと人はじっと下を向いてはいられない。ましてや死にたいとは思わない
のかもしれない。

「生きて行こう」 つぶやいてみる 夏盛り  千早都
(2001.07.25) ▲top

18.どぼん!エスプレッソシェイク

Try this new taste!・・・またやってしまった。
私ってなんて新しもの好きなんだろう。まんまとハマッテしまった。
タリーズのコーヒーショップで、Espresso Shakeなるものの看板を
見て本当にTryしてしまった。で、その結果は・・・。
何でもかんでもshakeにすればいい、というものではない。
あたかもアイスクリームをとかしたようなバニラシェイク、
ストロベリーシェイク、バナナシェイク等々、夏場になると
あちこちのお店でどんどん種類が増えてくる。
そしてこのエスプレッソシェイク。
でもこれが、一口飲んで大当たり!二口飲んでニンマリ。
幸せな気分が口いっぱいに広がり、喉にゆっくり流れてゆく。
こりゃええわぁ(^-^)。値段は高め(税抜き430円)だけれど、
ほろ苦さと甘さとこってり感が、程良くまろやかに溶け合って、
何ともクール&フィール・ソウ・グッド!
うーん、この夏すっかりハマリそうな予感。<
し、しかし、このカロリー、相当いきそうだ。
こっそり聞いてみたいけど、聞いたらもう飲めなくなりそう(^^;
(2001.07.06) ▲top

17.感じること、感じなくなること

6月8日、大阪の小学校にて精神障害者による大量殺傷事件が発生した。
私はこれを、その日の夕方、通勤電車内で広がる夕刊紙の見出しで知った。
瞬間、寒気がした。怖かった。まるで自分がその場に居合わせた
小学生のような錯覚を覚え、震えが止まらなくなった。
実は、過去に、いわゆる異常者に追いかけられたりちょっと怖い目に
遭ったりしたことがある。幸い直接の危害は受けていないけれど、
今でもこういった事件を耳にすると、それがフラッシュバックする。
だからこそ、自分があの逃げ惑う小学生の立場にすっと入り込んで
怖い目に遭っている姿が急に浮かんだりするのかもしれない。
私の心の乱れは多分いつものように時間が解決すると思う。
それより怖いのは、こういう出来事に慣れっこになってしまい、
心にバリアが張り巡らされ、何も感じなくなることかもしれない。
(2001.06.11) ▲top

16.おとなし(音無し)モード

喉をやられた。声がまったく出なくなるぐらい喉を痛めた。
強いめの薬をかかりつけで処方してもらい、ようやく痛みは
落ち着いたものの、薬が切れたときの恐怖に苛まれながら、
しゃべらない私がここに居る。こんなことは生まれて始めてである。
言いたいことがいえない、伝えられない。時代は便利になり、
メールやメッセンジャーの類はあるが、今、そこに居る人、
目の前の人とのコミュニケーションがさらさらと行えない。
まるで透明人間にでもなったような感覚。相手がこちらに
関心を持っていてくれるときなら、身振り手振りで最低限のことは
伝えられる。けれど、こちらからアクションをしかけたいとき、
もしくは、飛び交っている会話に突っ込みを入れたいとき、
それは違うよと一言入れたいとき・・・いかんともし難い無力さを
ひしと感じてしまう。
普段おしゃべりな私は、しかたがないので、そのはけ口を
文字に託す。弾丸キータッチに拍車がかかる。しゃべり口調が
そのまま文字になる。うーん、見苦しい。駄文が並ぶ。
書いては消す。消しては書く。力余ってえいっと文字の公害を
まき散らしてしまう。ああ、いつまで続くのか、この悪夢。
(2001.04.12) ▲top

15.凶器が走る!無灯火自転車

たかがこの程度のこと、書こうかどうしようか迷った。
でもこう何度も怖い目に遭うと書かないではいられない。
自分が痛い目に遭うだけならいいのだが、人に迷惑をかける、
危害を与えるとなると、話はヤワでない。

みなさん、暗くなったら自転車に乗るときちゃんとライトをつけていますか?

少なくとも私が小学校の頃は、無灯火の危険性を学校で何度も
教えられたものだし、ペダルが重くなろうが、自分の身を守る手段として
ごく当然のこととして夜自転車に乗る際はライトをつけていた。しかし、
今、私の住んでいる東京では、夜間ちゃんとライトをつけて走っている
自転車をほとんど見かけない。おかげで、歩道をちゃんと歩いていても、
道の端を歩いていても、ヒヤっとするのみならず、身体をかすったり、
かばんを引っ掛けられたり、よけたはずみで転びそうになったり、
そんな経験が何度もある。総じて自転車に乗っている人は謝りもせず
さっさと通り過ぎていく、まるでそこに歩行者が居たことが悪いかのように。
それも、ルールをよく知らない子供のみならず、おばちゃんであろうが
子供を乗せたママであろうが、お年寄りであろうが、関係なしである。
これは単純に怖さを知らないのだろうか。交通ルールを単なるマナー
ぐらいにしか思っていないのだろうか。罰せられなければ何をしていても
いいというのだろうか。

自転車はちょっとスピードを出していれば歩行者に対して凶器になる。
一方車にとっては、やっかいな自殺志願者になる。安全指導などという
生っちょろいレベルではなく、車と同程度の夜間灯火徹底がほしいと
切に願う。
(2001.02.16) ▲top

14.最近増えてるこんな人

最近こんな人が増えている。

1.自分であれこれやってみないで、もしくは、すぐにあきらめて、
人にきいたり助けを請う。それも、助けてもらって当然、そういう
人なりシステムがあって当たり前だとさえ思っている人がいる。

2.1.と関連するが、こうやってダメだったから次はこうしてみよう、
という、応用・工夫・学習能力に欠ける。

これは若い世代、マニュアル世代に顕著だ。そういう習慣がない、
訓練を受けていないから仕方がないと、とりあえず言い訳するにしても、
年齢の高い人も、モチベーションが下がっているのか、このような人を
多く見受ける。こういう人が増えるとホクホクのお仕事もあるけれど、
そんなことばかりしていると、発達めざましいロボットたちにあっと
いう間に追い抜かれてしまうのではないだろうか。
・・・取り越し苦労だといいのだが。
(2000.12.01) ▲top

13.何度でもナビゲーション

うちの車にもついにカーナビがついた。普通のパソコンならゆうに3台は
買えるお値段で、果たしてそんな価値があるのかどうか、疑問詞を吐き
続けて1年。助手席で地図と格闘しながら、迷子になり渋滞にはまり
何度となく悲惨な目に遭いながら、それでも、機械に使われるのは嫌と
ついこの間まで避けていたナビ。買った理由は勢いに過ぎない。
装着直後数回ドライブ、確かにこいつは賢い。道は良く知っているし、
渋滞情報もきちんと捕らえて反映している。それはいいんだけど、
指図通りだと何だか人間バカになってくる感覚。ナビされた道なんか
きっと覚えられないんだろうし(そんな必要もなくなる時代なのか?)。
ナビにドライバーが支配されてしまうような恐ろしさを感じつつ、
それじゃぁと、ナビとは違う道をうろうろ。もちろん行き先を指定して
あれば外れた道から再計算して新しいルートをナビしてくれる。
幾度繰り返しても何度でもやり直しをしてくれる。あれ?どっちだっけ?
と、迷ったときだけナビの言うことをきいてやってもいいか・・・。
今教育現場で必要なのは、こういうことではないのだろうか。
ものごとをひたすら教え込む時代は終わった。道に迷ったとき、助けを
求めたとき、行動が起こせないで戸惑っているとき、適切にナビゲートする。
あらゆる可能性を洗い出し、TPOを見極め、視点を相手と同じ高さに調節し、
即座に最良解を計算して対応する。決まったことを決められた通りに教え
込むほど簡単な仕事はないだろうが、現場で本当に欲しいのはこういった
ナビゲーターだということを、教えられる側が一番良く知っていると思う。
無能な自称教育者はもういらない、と。
(2000.11.02) ▲top

12.自分が自分を取り戻すとき

そこは時間がゆったり流れていた。テレビをつけてみた。でもいらない、
パチッ。余分な音は何一つない。六方を壁に囲まれた一室。地上23階の
部屋で私は久しぶりに自分を取り戻した。
何も邪魔しない。強すぎず弱すぎない照明と沈み心地よいソファ、
シックなベッドとゆったりしたバスルーム・・・夜景も確かに素敵だが、
それは多分この中ではささやかなデザート、もしくは彩りを添える花。
体を横たえるベッドのとなりにはカバーすら外されないベッドが一つ。
ちょっぴりさびしい気もするけれど、これが私のささやかな贅沢。
名古屋マリオットアソシアホテル
まだ開業して数ヶ月、部屋の外は喧騒とした空気が満ちているけれど、
ここだけは別。私をふんわりやわらかく包み込んでくれた。
お値段は少々高いけど、また、きっと、いつか。
(2000.09.09) ▲top

11.言葉にすること

とにかくにぎやかである。手が動いてる、足が動いている、
ついでに口も動いている。いや、順番が逆かもしれない。
口は疲れることを知らないのか、こちらが合いの手を入れない限り
ひたすらしゃべっている。同意を得られると、機嫌を良くしてまたしゃべる。
同意が得られないと、納得するまで「なぜ?」「どうして?」を繰り返す。
応対する大人に妥協は許されない。ひたすら粘り強く応答をする。
彼女の頭の中で何かがキラリと結びつく。また一つ新しい言葉が巡る。
・・・忘れていた人間の基本動作をまた一つ思い出させてくれた娘に感謝。
(2000.08.14) ▲top

10.ペーパードライバー返上の理由

取得してかれこれ15年。教習車以外のハンドルをほとんど知らないまま
金ピカ免許証が光る。身分証明書としてしか役割を果たさなかった1枚を
ようやく生かす時が来た・・・というと格好がいいのだが、私をそんな気に
させたのは、実はもうすぐ3歳になるわが娘。昨年我が家に待望の車が
やってきて、パパが専属運転手という状態で8ヶ月。車を購入した際は、
私もハンドル握るから、と、小さいめの車を選択しておきながら、あれこれ
理由をつけてその日を先延ばし。実は運転するのが怖くてたまらなかった。
そんな折、2歳の娘・楽夢(ラム)が私たちに言った。
「楽夢ちゃんも車運転する!大きくなったらするからね!」
これですっかり目覚めてしまった私。「娘に負けてなるものか!」
・・・ということで、明日はペーパードライバー教習2日目。
くれぐれも子供に笑われないように、っと。
(2000.07.22) ▲top

9.ターニング・ポイント

願い続ければいつか夢が叶うと思っていたあの頃。
願うだけでは夢は叶わないとわかったあの頃。
一生懸命努力しても叶わないものがあると知ったあの頃。
・・・ターニング・ポイントはいくつもあった。いやだ、信じたくないと
思いながらも、大人への階段を一歩ずつあがった自分がいる。
けれど、もはや悲観的になる必要はない。ポイントを通過するたびに、
自分にできることがだんだんはっきり見えてきたのだから。
(2000.06.18) ▲top

8.一に確認、二に確認

「えぇ?そんなぁ!」その瞬間、頭の中は真っ白。
私のとんでもない勘違いで、超多忙な方の貴重な時間を無駄にしてしまった。
2000年5月25日(金)。そんな日は存在しない。しかし私はメールの中で二度も
5/25(金)と書いて約2週間前にアポをとっていた。頭の中では、週末、週末、
金曜日、金曜日、と反芻していた。その日が来るのを週の始めから一日一日
楽しみに数えていた。そして運命の日、5/25(木)。地下鉄から上がってきて
いつものごとく、携帯電話の留守電が入っていないかチェック。すると一件の
新規メッセージあり、とのことで再生。
「xxxで待っているのですが連絡ください。」
何が起こったか把握できないまま、とにかくコールバック。
「(自信なげに)明日じゃなかったでしたっけ?」
「いやぁ、メールには5月25日金曜日と書いてあったんだけど、
きっと木曜日と間違ったんだと思って・・・」
その一言ですべてを悟った。ああ、私ったらとんでもないミス!!!
これから待ち合わせ場所に行くことは、物理的にかなわない。
ああ、もう二度と会ってもらえないかもしれない、と思いつつも、
とにかく謝ることしか思いつかない自分が悔しかった。
「今週の金曜日ですよね、楽しみにしています。」
たった一言、この確認プロセスを、どうして抜かしてしまったのか。
思い込みの怖さと確認の大切さを痛く感じた一日だった。
(2000.05.28) ▲top

7.大きくなったら

「ママの服着たい」、「ママの靴履きたい」、
「ママと同じお化粧したい」、「ママと同じ電話ほしい」、
・・・これらはうちの娘が毎日手を変え品を変え言うセリフ。
これに対し、私はすべて
「ママぐらい大きくなったら・・・」
で返答することにしている。幸いなことに、子供はそれで
あっさり納得する。実際、自分が少しずつ大きくなっている
ことを、手の届く範囲などで身を持って実感し、”いつかは
きっとママぐらいになれるはずだ”という確信が芽生えて
きているのだろう。それにしても、本当に大きくなるまでに
蓄積されるこれらの欲求は、一体どれほどになるのだろう。
想像するだけで恐ろしい(笑)。
(2000.05.16) ▲top

6.表現の強さ

言いっぱなし、出しっぱなしは誰にでもできる。
「伝えたい!」その気持ちの強さが表現の強さになるのではないか?
どんなに立派な内容でも、伝えたい意志そのものが弱いと、そうそう
相手には伝わらない。押し売りは困る、押し付けは嫌だ。でも、それ
以前の問題が山積みではないか?多くの表現物や表現者に接すれば
接するほど、そんなことを痛感する今日この頃・・・自ら反省をこめて。
(2000.05.09) ▲top

5.主役と脇役

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どちらが主役?どちらが脇役?
そんなことはどうでもいいような気がした。
(2000.05.07) ▲top

4.一年間

入れ替えの季節到来・・・といっても衣類の話。10年以上活躍している
スーツがあるかと思えば、昨年買ったのにたった一回袖を通しただけで
捨てられる運命のセーターもある。以前は、「一年間は保留期間」決めて
執行猶予を設けていたのだけど、いかんせん保管場所がもったいない。
気が変わって再度着用する、という確率はさっぱりあてにならない。
いいものはいい、だめなものはだめ、悩むだけ時間がもったいない。
その場その場の判断にきっちり責任を持って・・・ああ、私も歳をとった?
(2000.05.01) ▲top

3.だめならだめと言うべきなの?
頼まれたことを断るときは何て言う?
「それは私の仕事じゃありません」・・・それだけじゃ大人げないね。
「今忙しくってちょっと」・・・自分ののろま加減をさらけ出したり。
「そのうち、でいいですか?」・・・「やらない」と暗に言いたいときに使う。
断るって大変、なら引き受ける?
(2000.04.26) ▲top

2.欲張り

仕事、家庭、家、子供、車、趣味、・・・
何でもかんでも欲しいモノは欲しい、やりたいことはやりたい。
どれもこれも、ほどほどは難しい。中途半端はとっても簡単。
こうやって頭でわかっていることほど実行するのは難しい。
(2000.04.13) ▲top

1.一言多い!

黙ってコツコツやってりゃいいやつなのになぁ。
見て見ぬフリができないなんて大人じゃないよなぁ。
お前はいつも一言多いぞ!その一言さえなけれなぁ。
・・・ハイ、すべて私のことでございますm(._.)m。
(2000.04.12) ▲top

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